はじめに:半年が経って、ようやく「今」を感じられるようになった
会社を辞めてから半年が経った。
この半年間は、決して「穏やか」な時間ではなかった。
むしろ、自分という人間を解体し、また組み直すような感覚。
心が折れそうになった日も、何も考えられなかった日も、数えきれない。
でも今、ようやくこう言える。
「少しずつ、前を向けるようになってきた」
まだ完全じゃない。完治とも言えない。
けれど、もう一度“生き方”を考える余白が生まれてきた。
この記事では、そんな半年間の中で起きた「変化」と「これから」について、ありのままに綴っていきたい。
第1章:うつ病から、ようやく抜け出せた実感
ストレスのない生活、それだけが“治療”だった
退職直後、うつ病と診断されてからの生活は、とにかく「何もしない」を意識した。
- 朝は目覚ましをかけずに起きる
- 外出は無理のない範囲で
- 人と会わない日も気にしない
- 体調が悪い日は、薬を飲んで横になる
まるで、何かに「復旧モード」を押された機械のように、最低限だけをこなす毎日だった。
それでも、主治医の「焦らないでいいですからね」という言葉に何度も救われた。
小さな変化が、回復の兆しだった
ある日、図書館でふと手に取ったエッセイを最後まで読めた。
ある日、スーパーで「今日の晩ごはん何にしよう」と思えた。
ある日、親からLINEがきて「最近の調子はどう?」と聞かれたとき、「まあまあかな」と返せた。
そんな小さな変化が、「もう大丈夫かもしれない」という希望に変わっていった。
第2章:主治医からの「卒業宣言」
通い慣れた心療内科のクリニックで
通っていたクリニックは、いつも混んでいた。
駐車場は常に満車で、予約は1ヶ月先までいっぱい。
「こんなにも多くの人が、心を病んでいるのか」
最初は驚いた。でも、何度も通ううちにそれが“当たり前”に感じるようになった。
最終的に、主治医からこう言われた。
「状態も安定していますし、薬も減らせていますね。そろそろ“卒業”を考えても良さそうです」
「何かあれば、いつでも戻ってきてくださいね」
正直、涙が出そうだった。
第3章:支えてくれた家族への感謝
回復のきっかけは、薬だけじゃなかった。
何よりも大きかったのは、家族の存在。
妻の何気ない言葉に救われた日々
- 「今日は無理しないでいいよ」
- 「晩ごはん、何か食べたいものある?」
- 「一緒に散歩でも行く?」
そんな一言が、どれだけ心を支えてくれたか。
妻は何も大げさなことは言わない。
ただ、毎日そばにいてくれた。
それがどれだけありがたかったか、言葉では表せない。
子どもたちの「普通」の言葉が嬉しかった
娘や息子は、特別な励ましの言葉をくれるわけではなかった。
- 「お父さん、最近なにしてんの?」
- 「今度、ゲームいっしょにやろうよ!」
でも、そんな“普通”の言葉が、本当に嬉しかった。
「社会から切り離された存在じゃない」と思わせてくれた。
第4章:ようやく「これから」を考えられるようになった
うつ病が少し落ち着いてきた頃、ふとカレンダーを見て、こう思った。
「この先、自分は何のために生きていくんだろう?」
第5章:何のために働くのか、何のために生きるのか
早期退職をした理由は、「働けなくなったから」だった。
つまり、自分の意思ではなく、限界を迎えたから辞めた。
だからこそ、今になってやっと考えられるようになった。
- 自分は、これから何のために生きていきたいのか
- お金のため?
- 家族のため?
- それとも、自分のため?
答えは、まだ出ない。
でも、「考えたい」と思えるようになった。
それが何よりの変化だった。
第6章:焦らずに「次の生き方」を探していく
働くこと、社会との関わり、人生の意味。
どれも、簡単に答えは出ない。
でも今は、その答えを急がなくてもいいと思える。
これからの過ごし方
- 毎朝、散歩しながら季節の変化を感じる
- 月に一冊、本を読む
- 何かを「仕事」にするのではなく、「好き」でやってみる
- 誰かの役に立てそうなことを、ゆっくり探す
そんな風に、“ゆるやかに再起動”していくことが、今の自分にはちょうどいい。
おわりに:半年経って気づいた「生きることのリズム」
早期退職から半年。
ようやく、「会社の外の世界」での“自分のリズム”を少しずつ見つけ始めた。
- 無理をしない
- 焦らない
- 比べない
その3つを大切にしながら、これからの人生を組み立てていく。
「完璧じゃなくてもいい」
「まずは“生きている”という実感を取り戻すことから始めよう」
そう思えるようになった今、ようやく少しだけ「希望」という言葉が似合うような気がする。
※本記事は筆者の実体験に基づいたものであり、医療・投資・ライフプランニングなどの専門的アドバイスを目的としたものではありません。
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