
はじめに:50代での決断、それは逃げではなく「選択」
「会社に人生を支配されたくない」
そう強く思うようになったのは、50代を迎えて間もない頃でした。
私は30年近く、技術職として同じ会社に勤めてきました。エンジニアとして現場で汗を流し、後にマネジメント職に異動。子会社と本社の間で板挟みにされる日々。
そんな中、突然の「事業所閉鎖」――。
50代にして単身赴任か、早期退職か。
この選択を迫られたとき、私はようやく気づいたのです。
「人生、会社に預けっぱなしでいいのか?」と。
この記事では、私が「早期退職」という選択に至るまでのリアルな葛藤と体験、そしてその先にある「自由な人生」について綴ります。
エンジニア時代:深夜残業と休日出勤、それでも前向きだった日々
大学卒業後、私は技術職として今の会社に入社しました。
製造業の設計部門。いわゆる「モノづくり」の最前線です。
仕事はとにかく忙しく、納期前になると連日の深夜残業。休日出勤も当たり前。
いま思えば、完全にワークライフバランスなど無視した働き方でした。
それでも、不思議と辛くはなかったのです。
達成感があった
自分が設計した製品が、工場のラインに乗り、やがてお客様の手に届く。
そのプロセス全体に関われることが、若い私にとっては何よりのやりがいでした。
仲間と夜遅くまで図面を前に議論し合い、時には笑いながらカップ麺をすする――そんな「戦友」的な空気感もありました。
いま思えば、あの頃の私は仕事を通じて自分の存在価値を見いだしていたのだと思います。
しかし、そんな日々にも転機が訪れます。
マネジメント職への異動:やりがいは消え、理不尽だけが残った
40代後半、私は突然「マネジメント職」への異動を命じられました。
いままでの設計現場から離れ、子会社側の立場として本社と現場をつなぐ“橋渡し役”に。
表向きには「キャリアアップ」でしたが、実情はそうではありませんでした。
理不尽のオンパレード
本社からは一方的な指示、子会社側からは現場の不満。
その板挟みとなった私は、毎日ストレスのはけ口のように扱われるようになりました。
- 「なんでこれが本社に伝わってないんだ!」
- 「また子会社が勝手に動いてるぞ!」
- 「あんた、どっちの味方なんだよ?」
こうした言葉が飛び交う会議室で、私はただ耐えるしかありませんでした。
かつてのような“達成感”はどこにもなく、毎日が「消耗」そのもの。
やがて、眠れない夜が増え、朝になると体が動かなくなり……医師からは「うつ状態」と診断されました。
事業所閉鎖という通告と、単身赴任の打診
そんな折、会社から突如通達がありました。
「XXX事業所は来年度末で閉鎖となります」
そして、次に続いた言葉が私の心を大きく揺らしました。
「ZZZ工場に異動してもらいます」
場所は遠方。家族は動かせない。
50代も半ばを迎えて、知らない土地での一人暮らし――。
以前の私であれば、「会社に命じられたなら行くしかない」と思ったかもしれません。
でもこの時の私は違いました。
「もう十分だ」
そう心の底から思いました。
「会社に縛られない生き方」を選んだ理由
私は決意しました。
単身赴任の辞令を断り、「早期退職」の道を選ぶと。
人によっては「もったいない」と言うかもしれません。
でも私にとっては、ここで辞めないことの方がよっぽどリスクでした。
家族との時間、自分の健康、これからの人生。
それらすべてをまた会社に預けてしまったら、私の人生は一体誰のものなのか?
この問いに正直に向き合った結果、私は「自由に生きる」という選択をしたのです。
退職後の生活と変化
もちろん、不安はありました。
- 収入はどうする?
- 世間体は?
- 周囲の目は?
でも、いざ会社を辞めてみると、それ以上に得たものがありました。
自由な時間
朝、目覚ましに起こされることなく自然に目を覚ます。
読みたかった本を読む、家族と一緒に昼食を取る、平日の公園を散歩する。
これまでの「日常」がどれだけ特別なものだったかに、ようやく気づきました。
心と体の健康
うつ症状はみるみる回復し、睡眠も安定。
心療内科からも「すっかり良くなりましたね」と言われ、薬も卒業。
「心をすり減らしてまで会社にいる必要はなかった」と確信できた瞬間でした。
おわりに:あなたの人生は、あなたのもの
今、私が声を大にして言いたいことがあります。
会社は、あなたの人生のすべてではありません。
長年勤めたからこそ言えることですが、会社は「あなたの人生」を保証してはくれません。
守るべきは、あなた自身の心と体、そして家族との時間です。
「早期退職」は勇気のいる決断かもしれません。
でもそれは「逃げ」ではなく、「自分の人生を取り戻す」ための選択です。
私の記事が、いま悩んでいる誰かの背中をそっと押すきっかけになれば幸いです。
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